三河教育研究会

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この子のため「勉める」
誇り高き三河教育の継承を

三河教育研究会 会長 夏目 貴司

 山滴る5月21日、関係多くのご来賓のご臨席を賜り、令和7年度三河教育研究会定期総会を盛会裏に終えることができました。心より御礼申し上げます。
昭和36年5月に発足した三河教育研究会は、本年65年目を迎えます。この間、多くの先輩方のご尽力により、三河小中学校長会、愛知教育文化振興会との連携のもと、確かな実績と伝統が築かれ、今日まで引き継がれてきました。
三河の風土を背景とした三教研という組織そのものが、三河教師にとっての大いなる「よき先輩」であり、その懐に飛び込み、学ぶ機会を得られる私たちは、「熱き後輩」でありたいと思います。
私たち教員の本分でもある「学び続ける」姿を表す「勉める」意識、研修・自己研鑽を怠らない姿勢を大切にし、自身を高めていくのはなぜか。そこには、「目の前のこの子に、授業を通して成長してほしい」と願う、はじめに子どもありき、この子のために、という確かな起点があります。その一点に、三河の先輩方、仲間たちは熱い思いで臨み、工夫を凝らし、具体的で、丁寧な営みを続けてきました。
そんな「教え」の一端を紐解くと、「まず子どもをとらえる」「子どものよさ、躓き、真意を感じ取る」営みが第一に挙げられます。「授業日記に目を通し続けることで、子どもがしっかりと見えてくる」という先輩の助言。また、ある仲間の、「子どもの知りたい、こうなりたい思いを集める」カードを使った取組。これらに刺激を受け、若き日の私も、授業づくりに挑んだものでした。しかし、思いが空回りをし、考えあぐね、なかなか「道」を定められずにいた時、光を照らし、「道筋」を示してくれたのは、やはり、子どもの声、つぶやき、表情、動きであり、高まり来る追究意欲、熱量でした。子どもの反応、答えを受け止め切れずにいた若き教師の失敗を包み込んでくれたのも、三教研を中心とする、教科研究の仲間、先輩方でした。教科テーマの上辺だけをなぞっても決してうまくいかない時、「授業で子どもを育てる」という信念をもって、丹念な記録でその変容を追い、深く考察し、その子を活かす「教師の出」につなげる、その大切さを教えていただきました。
また、こんな「教え」もありました。子どもたちの追究を活かし、「かかわり合い」、「学び合う」授業づくりのカギは、毎時間の「座席表」でした。教師が「かかわらせる」のでなく、子どもが確かな足場をもち「かかわり合いたくなる」発問、指名順はどうあるべきか、吟味しながら作戦を練る時、「ゆさぶり」「間」「子どもに返す時間」を構想する小さな研修も、私たちの大きな力につながりました。
それらの「教え」のもと、技を磨き合い、学び合う、発信・交流の機会も、三教研の組織が担う「研鑚の場」にあふれています。やがてその営みに参画し、指導・助言の立場を学び、若手・後進の育成に携わり、世代が交流する、その繰り返しの中で、三河教育のよき伝統が引き継がれていきます。
隣県の神宮が二十年に一度の遷宮を行う時、宮大工は人生に三度それに携わることで、伝統が受け継がれると言います。しかし、実は、その二十年の間には、社の造営だけでなく、新宮で使われる器、お道具を作ることや、その材料の木材の切り出しなどに古式に則った数えきれない職人の技が継承され続けています。
 私たち教師は、壮大な社や精緻な器を作ることにも負けない、すばらしい未来を創造する子どもを育てる営みに関わることができます。その道を愚直に歩み続ける時、三教研の仲間がともにあることが、大きな支えになるはずです。
誰もが知る『アンパンマン』の主題歌には、「何のために生まれて、何をして生きるのか」という一節があります。「教師という人生」を選び歩んできた私たちは、この子のため「勉める」思いを大切にし、誇り高き三河教育の継承を担う、一人一人でありたいと願います。
「三河のすべての子どもに質の高い教育を保証する」という、本会発足当時の先輩方の熱き思いを受け継ぎ、高め、後輩につなぐため自分に何ができるのか、それぞれの立場での研鑚のあり方を考え、実践していける私たちでありたいと思います。
一年間、どうぞよろしくお願いします。